歌うわれらの笑顔みよ


花よ睦みてほがらかに



ああ咲きそろう友垣の


平和の鐘がなりわたる



静かに波をふるわせて

新潮みつる瀬戸の海



巣立つわれらの意気をみよ


窓よ鍛えてたくましく



ああ開けはなつ学び舎の


自由の旗がさしまねく



涯なき空を指さして

青雲ひかる安芸の国



学ぶわれらの姿見よ


空よあおぎてはつらつと



ああよみがえる広島の


世紀の朝がおとずれる



流れも清くみちびきて

さみどり匂う太田川
 
「校歌」の由来
新生国泰寺にふさわしい校歌がほしいと、1950年7月に広く校内に呼びかけて歌詞を募集した。定時制生徒堀田晃君の作が入選。当時の音楽科講師白井威彦先生が作曲し、11月1日に制定された。





健児の歌を歌わばや


剣を抜いて地を斫つて



春や暮れ行く花吹雪

緑濃染めの若草に



猛き心を君見ずや


鯉城城下の健男児



瀑布を衝いて遡る

三十六の銀鱗に



北斗の光り地に落ちん


正義の旗の振う時



健児が意気は高くして

ああ関西に覇を握る



健児が粋や千二百


霊気凝りては広陵に



瀬戸の内海の薄緑

二葉に匂う濃紫



我が広陵の健男児


眠りを破る雄叫びや



栄華に酔いし人びとの

巷に響く春の歌



驕りの夢は尚醒めず


三篠の水に春逝くも



花爛漫の色褪せて

鯉城の夕雨白く
「鯉城の夕」の由来
児玉琢四郎(1907明治40年卒)が春の大阪方面の修学旅行前に、若い集団精神・
団体的感激ということを考えて詞を作り仲間に示したところ、これはおもしろいと、
羨望だった一高寮歌の節で歌い始め、その後も長く歌い継がれてきた。

[昨今]
最近では、7月の一中慰霊祭でも歌われました。二木会をはじめとしてあらゆる場面で、
年齢の壁を感じず、皆が円陣を組み歌いつないできています。



紫の旗
1.紫の旗往くところ 月の夜の桂を折らん
    何事ぞ身の程知らで とつ我に射向かふ彼等

2.蹴れば勝つ鯉城の歴史 昇る日の光にみつる
    そそり立つ小富士ケ峰に
    雄々しく立つ野辺のすめらぎ
紫の旗
応援歌の中でも、サッカーなどの試合中に、
激励の意味を込めて歌われていた歌です。
    あるOBの方から、学生時代親しんで歌っていた「紫の旗」の歌詞をぜひ、との声が届き、ここに加えることにしました。生徒手帳には今日までずっと楽譜と歌詞付きで紹介してあり、全校生徒の目に触れてはいますが、学校内でその歌を耳にすることはなくなっています。他方、同窓会の集まりでは今なお懐かしく歌われているとも聞きました。

磐梯山
1.磐梯山の血叫びか 十字軍の旗風か
    泣かず飛ばずの古を 想いて今日は落涙の
    玉散る波に雨そそぐ ああ愛校の血潮みる
    ああ多恨の我らが血の涙

2.長夜の鐘に夢さめて 極楽寺山頂月寒し
    憂を抱きし若鳥の 打ち連れ歌ふ悲歌慨歌
    幾年こがれし彼の覇権 健児が胸に血の燃ゆる
    ああ多恨の我等が血の涙

3.白楊樹林霊気満ち 緑輝く朝ぼらけ
    血にまみれたる同胞の 雄飛の秋ぞ今来る
    壮途をつつむ鹿島立ち 遙かに望む西の空
    ああ多恨の我等が血の涙
磐梯山
同じ応援歌でもこちらは、試合に負けたとき、
捲土重来を期して歌われていた歌です。

























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