校章・校歌


広島国泰寺高校・校章


「校章」の由来
─広島一中国泰寺高百年史より─

 校章の制定 1949(昭和24)年7月に現在の校章が正式に決定された。校章問題については開校以来なかなか確定せず、その上既に決定した学校もあって少々あせったが、広隆教諭の力作になる校章が決定した。国泰寺の大楠を象徴化した楠の葉三葉と、国泰寺が浅野氏の菩提寺であるところから浅野氏の紋所「鷹の羽」二枚とを組み合せて、楠の香気高く、永遠に変らぬその操守・気品、これに配する鷹の表象たる剛健・質実・責任をあらわしている。(国高新聞創刊)
 「本校生徒はこの校章に限りない誇りと愛着を持って、校運の発展と日本の繁栄の為に若き情熱と精魂とを傾倒するであろう。かくて明るく美しい新風のみなぎる、しかも力強くたくましい学園が形成されることは疑いを入れない。」(昭和48年度生徒手帳)


広島国泰寺高校・校歌


「校歌」の由来
──広島一中国泰寺高百年史より──


 校歌の制定 新生国泰寺高校の校歌は、1950(昭和25)年10月1日に制定された。この歌詞は、全日制定時制の生徒および職員全体に広くよびかけて募集され、数篇の応募作品の中から審査の結果、定時制生徒堀田晃(昭26卒)の作が入選したものである。また、作曲は当時音楽科担当の白井威彦講師の手によるものである。

 作詞者堀田晃は、当時昼は本校の実習助手として事務室に勤務し、夜は本校定時制に学びながら、個人的に本校藤岡事務官に師事して作詞などの手ほどきを受けていた。彼は入選の頃を思い浮かべ、次のように語っている。

 私は敢えて「国泰寺」を中に入れなかった。将来、国泰寺の呼称では全国的にみて理解されにくいだろうと推察したからである。私は絶えず、サッカーでも野球でも全国制覇をなしとげてもらいたいと念願していた。そして、その選手達が声高らかに歌えるように考えぬいたつもりである。この校歌を初めて聞かせてくれたのは、音楽部の生徒であった。その部室での感激は、今でも忘れることができない。